当時、小学校ではそこそこいじめはあったりなかったりしてまあまま楽しくすごせた。それが中学になってからめんどくさい上下の関係から最悪な中学生活となっていきます。地元が田舎の3000人しか住まない超ド田舎、
田舎でも倉敷や岡山、真備、笠岡、高梁に比較ができないような超田舎で過ごしました。
親が個人事業主で「ペンキ」のお店、それが自分のアダ名となり変な名前で呼ばれていた。また中学より勉強が大事になることが分からず、勉強もできずに、49人中46番位の成績でした。勉強もできずに、嫌なあだ名が付いて、女性からも嫌われていたな。口を聞いてくれなかったし(笑)
当時は勉強がすべてにおいて重要で、勉強が正義、勉強ができない子には自分の担任で、女性40歳位の独身の先生が私を嫌っており、態度や表情からそれが分かった。
もちろん自分にも原因があり、自分の親も変わっていてとても目立って嫌われていた(笑)
勉強できないこと、容姿が悪いこと、親が変わっていること、親が個人事業で変なあだ名をつけることでとても嫌な中学生活でした。
もちろんスポーツなんか出来ない。
口を聞いてくれなかったのが一番ショックだったな
中学で勉強が出来て容姿が良い奴は、勿論カップルになりお付き合いが出来るわけ。羨ましいと思うけで、自分等蚊帳の外でした
何も努力をしなかったが、それでも休まずに学校は行った((笑))
今では良く学校に通ったなと思います
人生のなかで一番つらかった時
中学最後の卒業式も当時40歳独身の担任の先生が
自分に向かって「遅刻しないようにだって」
「卒業おめでとうじゃないの?」
と突っ込みをいれようと思った。
こうして中学生活は終わったわけだけど、
卒業して、何年か地元で当時の同級生と会ったんだけど、やっぱり口は利かない、向こうから話してくれたんだけど嫌だったんで(笑)
何年か大人になり成長したけでやっぱり顔を見るのが嫌で(笑)
「大人の階段上る君とまだ会いたくないのさ~] と歌を歌わないとね
何年かして同窓会があったけどもちろん行かない
行くわけない
あれから何年か経ってしまったが、会う友人はもういない
それが自分自身の人生
結婚も出来なかった自分の人生^
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